大人であれば臨界事故当時の切迫した状況を
テレビで新聞で見聞きしてご存知の筈。
http://www8.plala.or.jp/grasia/dokushyo/JCO/Hibaku2.pdf
被爆治療83日間の記録NHK取材班 (岩波書店)
既知の事故から早10年以上が経過し、事故の風化もあります。
放射能と言う言葉に恐怖を当時感じました。
もし亡くなられた作業員の大内篠原両氏がご存命だったなら
今回の二次災害被爆事故をどんな風に思うのでしょう。
事故当時の作業をされた方のうちただお一人
横川豊氏はご存命であると思われます。
当時一番被爆が軽く一時危うい病状になるも
回復されました。
今回東北地震の二次的災害に見舞われた福島原発事故は
正に人知の及ばない事に手を出した愚かな人間の不始末です。
放射線皮膚損傷の治療
JCO臨界事故で被曝により亡くなられた両氏の
事故後の壮絶な闘病状況や危険性を十分認識して
先の経験を今後に生かす努力をしていれば
『作業員は丈の短い靴で水に入り、足がぬれたという』
こんな幼稚園児が水溜りで水遊びしたような無様な被爆は
起こりえないと思うのです。
認識の甘さゆえです。
決死の作業で被爆したとは到底考えられない被爆です。
人も原発も既に制御不能なのでしょうか。
被爆された作業員の方のご回復を心よりお祈りいたします。
それと共に事故が残念でなりません。